ロングプロフィール|佐藤政樹 劇団四季元主演 オフィシャルHP

夢と感動を届ける人材育成トレーナー 佐藤政樹
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話せば長くなりますが

HPをご覧の皆さん、はじめまして。佐藤政樹と申します。

私は現在教育機関や企業で、夢を与えたり、
会社の風土や意識改革の講演・研修のお仕事をさせて頂いています。

そんな私のキャリアは他の講師の方々とは、
だいぶ違うユニークな経歴を辿ってきました。


私は劇団四季という、ライオンキングなども上演している劇団で
俳優としてのキャリアを積んできた人間です。

劇団四季といえば、名前を知っている方も多いかもしれませんが、
実際にどんな組織かを簡単にご説明しますと、日本の商業演劇市場の
トップクラスの劇団で歴史も実績もある組織です。


プロ野球で例えるならば、巨人軍のような存在でしょうか。


そのトップクラスの世界で10年間ほど舞台に経ち、
大勢の皆様を感動させるパフォーマンスをしていました。


毎日、多くの人に夢と感動をお届けできる、
本当にやりがいのある仕事だったのですが、
その華やかさとは対照的に、本当に厳しいプロ世界

プロ野球と同じで、入るのは難しく、長年活躍できるのは一握りなのです。

結果を当然求められ、
成果が出なければ来年の契約が更新できないという
非常にシビアで厳しい中で10年間のキャリアを積むことができ、
最後は主役をさせていただきました


こう話すと何だか、すごい人のように思えるかもしれませんが、
私は紆余曲折の人生を歩んで来ました。

というのも、私は大学の理工学部を卒業した後、
フリーターになり23歳で劇団四季を目指すことになったのです。

ちょっと、変わった経歴ですよね。
理工学部卒で経験値ゼロ学生が、劇団四季に入るなんて当時、
誰もが「無謀だ」と思ったのです。


そして、なんと入団できたのは27歳でした。
そこからプロの世界で10年です。

そして私は幸運にも現役プロ生活の最後に
主役をやらせて頂くという貴重な機会を得ました。

主役は全責任を負う役割ですから
壮絶なプレッシャーにさらされます。

そのため、1シーズン中の1ヶ月という短い期間でしたが、
10年近く必死になって食らいついたプロ生活の最後の経験が
私の中で非常に大きな財産となりました。


こうして、私の話を簡単にお話すると、
とっても華やかでスゴい人のように思えるかもしれません。

しかし、私の人生はむしろ挫折だらけで
20代は成功とほど遠いような人生だったと思います。
自分で言うのもおかしいかもしれませんが、
かなりの「苦労人」の部類に入るのではないでしょうか。


プロの世界を目指し、
その世界の中で10年のキャリアを積むというのは、
挑戦の連続でした。

挑戦する中で、人から笑われ、バカにされ、何度と無くどん底を味わい、

「もうダメかもしれない」
「もう逃げ出したい」

それでも、なんとか這い上がってやってきました。


こうした、逆境を乗り越える中で

「仕事に対する姿勢」
「自分自身の夢を掴むということ」
「挫折を乗り越える秘訣」
「運や機会を引き寄せる力」

など生きる知恵を身体で体得していたのではないかと思います。


当時の自分はただ愚直に、がむしゃらに、
必死にチャレンジしていただけです。


今は講演家としていろいろなお話をさせていただきますが、
このような経験や私の生き様に共感していただくことが
とても多いように感じます。

また、俳優という、
人を感動させる仕事で培ってきた経験や表現方法やスキルを使って、

「感動を創造する言葉の伝え方」
「深いレベルで伝える力」
「コミュニケーション」

といったテーマで皆さんに講演や研修などでお話をさせて頂いています。


今は、私の経験やこうした技術を通して、
世の中の多くの人に役に立っていただきたいと思い活動しています。

多くの人が自分のやりたいことや夢に向かって貰える
そんな人を多く増やして行きたいと思っています。


今回は、これから、HPをご覧の皆さんに、

・なぜ私がこのようなキャリアを積むようになったのか

そして

・なぜ今講演や研修のお仕事をしているかについて、

話は長くなりますが、じっくりとお話させて頂きたいと思います。

中途半端な就職活動

お恥ずかしい話ですが、
私は将来する自分の仕事について意識の甘い大学生だったのです。

「どうやったら大学生活を充実できるか?」
「どうやったら毎日が楽しく過ごせるか?」

それしか考えていませんでした。


気づいたら大学四年生。
周りが突然、髪を切ってスーツ姿になり始め
一般常識やら筆記試験などの勉強を始めます。
自分も周りに流されるかのように就職活動を始めたのでした。

「仕事とは?なぜ働くの?会社って?」

何も考えずに何となく就職活動をしていました。
筆記試験で人間を判断することに疑問を持ち、
一切勉強はしません。

そして学食で聞こえてくるこんな言葉。

「お前何系の会社を受けているの?」
「〇〇系だよ」
「どうして」
「だって安定してるから」
「あぁ、はやく就職先決めて遊びたいよ」

こんな言葉すべてに疑問を持ち始めます。


私のような中途半端な考えでは
もちろん内定などもらえるわけがありません。
それを、人のせい・学校のせい・社会のせいにしていました。
そして「自分の好きな事を仕事にする、手に職こそが自分の仕事だ」
こう思って就職活動を辞めてしまうのでした。

しかし、周りの人の内定先が決まり始めると、
今度は不安に襲われます。

周囲の眼とその不安に耐えられなくなって
また就職活動を中途半端に再開。
そして縁故で頂いた地元の旅行会社の内定が決まりかけるのですが、
やはり「こんなの自分の人生じゃない」

内定を蹴り紹介者の顔に泥を塗り、
そのまま就職しないで卒業して逃げるように
フリーターとなったのです。

まずい、このままでは人生の落伍者だ!

卒業してフリーターとなってからは、
ギター演奏が少々得意だったため、
「音楽で成功するんだ!」と言っていました。

しかし、現実の厳しさや、
思い描いていた世界とは違うということが分かり、3ヶ月ほどで挫折
そのまま、無目的にアルバイト先とアパートを往復する生活を送っていました。


そして、23才の誕生日になり、
自分の顔を鏡で見て、
驚愕の事実に気づくのです。

生気がなく眼が死んでいる自分がそこに立っていました。

『このままじゃまずい。確実に人生の落伍者だ。』


この恐怖感に襲われ、
「ダメな自分から脱却したい!生まれ変わりたい!」
と決意したのです。


人生を諦めて、ただなんとなく就職するのではなくて、
自分を表現する世界でなんとか生きていきたい。

何か行動しなければ!そう思った矢先。
新聞の片隅にあったある広告を見つけました。

「俳優養成所・オーディション」

こ、これは!!
何かのきっかけになるんじゃないか!
すぐに入所したのです。


その俳優養成所に入ってからは、
同じような考えを持つ仲間ができ
始めは楽しかったのですが、
すぐに満足感が得られなくなっていきました。

ほとんどの人が、仕事が来るのを待っているだけ。
「チャンスがくればいいな~」と思うだけの人ばかり。
そんなんじゃ、仕事なんてくるわけない。


周囲は意識と本気度がかけ離れていたのです。


この組織にいても、年だけとってしまう…。
私は焦りや悶々とした気持ちでいたのですが、
そんな中でも良い出会いに恵まれました


それは、自己実現や夢に対して
熱い心をもった意識の高い仲間が二人だけいたのです。


この二人は積極的に外部レッスンを受けに行ったり
いろんな舞台を観に行ったりしていました。
もちろんすぐに仲良くなります。

人生を変えるほどの衝撃的な出会い

その二人がある舞台を観に行こうと熱心に誘ってくれました。
これが私の人生を大きく変えるだろうと
そのときは思ってもいませんでした。

その舞台というのが

  ・

  ・

  ・

劇団四季の「SONG&DANCE」という舞台でした。

この舞台を見終わった後、
私は頭が真っ白になり
足がふらふらのガクガクになりました。


飛んだり跳ねたり廻ったりする俳優たち。
身体のどこから出てくるのかわからないような芯のある声。
そして、三階客席の一番後ろまで伝わってくる出演者の魂と熱いエネルギー。


完全に私はそのパフォーマンスに
心を突き刺されるような衝撃を受けたのです。


そして帰りの電車の中で、
子供の頃からエンターテイメントに憧れがあった私は、
お腹の奥の方で炎が点火されたような気持ちになってこう思いました。

「自分の目指す場所は、あの舞台の上ではないか?」

とです。


そして、すぐさま、
劇団四季を目指すべく行動を取り出したのでした。

23歳ゼロから目指す舞台の世界。

ところで、劇団四季に入る人や
劇団四季の舞台に立っている人ってどんなイメージがありますか?

例えば、

・幼少のころからダンスの英才教育を受けている。
・有名音楽大学卒など、専門的な芸術教育を受けている。
・特別な能力をもともと持っている人。

そんな特別な人だけが入れるところ、
活躍できるところというイメージがある人が多いようです。
もちろん私もそう思いました。

「何の経験もない自分が大人になってから目指すようなところではない」とです。

しかし、前述した意識の高い仲間二人の紹介で、
劇団四季でバレエを指導している先生が行う
入門クラスに行こうと私の背中を押してくれます。


私はドキドキしながらその門を開きました。
するとどうでしょう?

劇団四季を目指す高校生や、
劇団四季の付属養成所の生徒さん達が、
真剣で集中した目つき
そして非常に高い意識で
必死に汗を流して自分を磨いているではないですか。


これを見て劇団四季に入るためにここで
自分を磨きたいというハートに火がつきます
しかし、この時私はすでに23才を過ぎています。

自分の心の中にも
「大丈夫か、できるか」
という声は当然ありました。

特に、幼少時から英才教育を受けていないと
通用しないと思われるクラシックバレエ
チャレンジすることには抵抗がありました。


しかし、その道のプロにお金を払って学ぶことを決意します。
すると、カチカチだった身体が数カ月で柔らかくなり、
身体のすみずみまで踊るための神経がいき渡るのを感じたのです!


レッスンを続けることにより
1年前とは別人の自分を発見し
「これならいけるのではないか?」

このちょっとした『素敵な勘違い』が自信となり、
自分が夢にみた世界に歩みだすことになるのです。


こうして、意識の高い仲間との出会いから、
衝撃的な劇団四季の舞台に出会い、導かれるように
劇団四季を目指すことになったのです。

夢は見つかった!そこに現れる善意のドリームキラー

しかし現実的に、23才のまったくの素人が
劇団四季を目指すと言っていたら、皆さんはどう思いますか?

・「無謀すぎる」
・「大人から始めるなんてもう遅い」
・「絶対に無理」
・「あなたを見ていると情けなくなる」
・「君は進む道を間違えている」

これは全て私が、実際に言われたことです(笑)
皆さんがこのように言われ続けたらどうでしょうか?
諦めたくなりますよね。

私もこのような数々の名言を頂戴して諦めそうになりました。
そう、夢が見つかると、その夢を否定するような
ドリームキラーが必ず現れるのです。


それは、親だったり、教授だったり、友人だったり、身近な人で、
本当は自分のことを心配して善意で言ってくれているんです。

だから、私は「善意のドリームキラー」と呼んでいます。
多くの人が善意のドリームキラーに、
止められて夢を諦めちゃうんです。

でも、私は諦めたくなかった。

沢山の人に心配をかけたので、何とかして認められたい。
劇団四季に入れば、アルバイトはしないでも舞台だけで生計を立てられる。
「今にみていろ!!」という、なにくそパワーも確かにありました。
でも、一番は、

「1度きりの人生、
 あの時チャレンジしていたら…と後悔はしたくない。
 できるかできないかではなく、
 自分が納得できるくらいまでやってみよう」


という覚悟の想いが強かったからこそ、

「善意のドリームキラー」にいろいろ言われても諦めなかったのだと思います。


そこから、愚直にまっすぐ修行を積み上げました。
でも、劇団四季どころか、
いろんなオーディションは受けるたびに不合格。


しかし数多くの失敗と挫折を乗り越え、
23歳でスタートして早5年。
なんと28歳でついには
劇団四季合格という目標を達成し、夢を叶えたのです。

下積み時代はその後の人生を決めるうえでとても大切な時期

ビジネスパーソンであれ、アーティストであれ、
注目されずに、こつこつと準備をする下積みの時期があると思います。
下積み時代とは、
自分がやりたくないことでもやらなくてはいけない時代です。

そして、この下積みの時期は、
いつ抜けるか分からないという特徴があり、
とても精神的にも苦しい時期です。

しかし、夢を叶えている人、成功している人はこの時代を諦めず、
踏ん張った方ばかりで、
この下積み時代が大きな転機になっていることが少なくありません。

だからこそ、この下積み時代にどう過ごすかが、
その後の人生に大きく影響してくるのではないかと思います。


私も四季に入るまでの五年間はまさに下積み時代で、
芸の修業だけでなく生計を立てるためにいろんなアルバイトをやりました。

力仕事系からPC操作に始まり、
銀座の夜の世界も経験しています。

おそらくあらゆる種類の仕事を経験していますが、
ここで私の人生を大きく変えた体験をお話したいと思います。


場所は吐く息が一瞬で白くなるような
厳しい寒さの朝の東京の青山学院大学の前でした。
私は、受験生に不動産チラシを配っていました。

地方からやってきた受験生は合格して
上京したらまず家を借りなければいけません。
そんな受験生のための不動産チラシです。

そのチラシ配りのアルバイトは管理がかなり緩く、
頑張っても適当にやっても変わらないアルバイトでした。

私は、ただただ言われた通りに、
前を通る緊張した面持ちの受験生にチラシを渡しておりました。
そのアルバイトに、私と同年代のある金髪の青年がいました。


切れ長の目をしたその青年は見た目とは
裏腹に目の前の受験生一人一人に心を込めてチラシを渡しております。

「お願いします!!」 その言葉の奥にはまるで「試験頑張ってください」って
聞こえてくるかのようでした。


私は、「なんか張り切っている奴がいるなぁ」
くらいにしか考えておりませんでした。

そんな、彼とアルバイト後の移動で一緒になって話す機会があったのです。
「ずいぶん一生懸命だね」と私が言うと、
彼は私の人生を変えるこの一言を放ったのです。


「お金をもらうのだから、
 ちょっとでも上乗せして返すくらいの
 気持ちでやらなきゃだめでしょ…」



頭をガツンと殴られたような感覚が全身に走りました。

受けたものに上乗せして返す気持ちでやる彼。
一方、完全指示待ち・言われたことをただこなすだけ自分。

自分のやりたいことや目指す夢とは関係のないことには
エネルギーを使う必要はない、と考えていた私にとって
稲妻が頭に落ちるほどの衝撃な出来事でした。

当時、私は何をやってもだめで
八方ふさがりでお先真っ暗状態だったのです。

全く報われない今の現実が起きている原因の一つが、
「自分に関係ないことには向き合わない」という考えだと
彼の言葉から感じたのです。


その言葉が頭の中をぐるぐる流れ続け、
そして時差はありましたが、
手の平を固く握り締めるようにハートがグッと決まるのを感じました。

関係のないと思うような事でも、
いま目の前にあることに
しっかり向き合って生きていくように自分を変えようと…。


そこから、練習やあらゆる行動に対する取り組み方が変わりました。
心構えが変わると周りの人間や出会いが変わり、
人生も変わってきます。


それまで、劇団四季の入団テストを始めとして、
あらゆる事に全く太刀打ちできなかった私が徐々に
夢を叶える方向に向かった最初のきっかけとなりました。


この経験から、
どんな仕事であれ
それがアルバイトであっても、

自分自身を見つめ直し、
自分自身を変化させていくことが
できるのではないかと思います。

下積み時期は日の目を見ることがありません。
だからといって腐るのではなくて、
一つ一つのことをやっていくことが
大切なのだと確信するようになっていくのです。

私の下積み時代 銀座の夜のお仕事編

もう一つ、私の仕事観に影響を与えたお話をしたいと思います。
私は、劇団四季合格という夢が叶う直前の27才の時に
銀座8丁目で夜の世界のアルバイトをしていました。

銀座の夜の仕事の通称・ボーイさんには、
いろんな仕事があり、お客が入っていない時間は
店の外に出て客引きをしてくるように命じられました。

客引きは今、法律で禁止されているようですが、
当時は銀座8丁目の交差点に立って街ゆく人に声をかけていました。

改めて言いますが、この時27才です。
旧友が、結婚をしだし、子供を授かったなどの
連絡もちらほら入ってくる年齢です。

一方の私はベンチコートをきて、
銀座8丁目の交差点付近で客引きです。

高級ブランドのショーウィンドウの
ガラスに映る自分の姿が異常に情けなく映ります。
「俺、何しているのだろう…。」


しかし、あの言葉を思い出すようにしていました。

「お金をもらうのだから、ちょっとでも
 上乗せして返すくらいの気持ちでやらなきゃだめでしょ…」


あの金髪青年の一言から空に向かって自分軸が立ち直します。
目の前のことに向き合っていくという。

客引きをただするのではなく、
少しだけでも上乗せして返す気持ちをもって今、
自分の目の前に起きていることに向き合ってみました。

やってみたことは、創意工夫だけです。

こちらが、立ち止まって歩いてくる人に声をかけてもほぼスルーです。
そこで、見極めました。
駅の方向に向かって帰宅するグループなのか、
それとも営業予算を達成してこれから一杯くりだすグループなのか、
などを。


これを繰り返していくと、だんだん会話ができるようになってきます。
それでも「じゃあ今度いくよ」程度です。

そこで、コミュニケーションをとるように変化をつけました。
自分の名前と顔を覚えてもらったり、
名字をうまく聞き出して覚えておいたり。
そのうち、経験を積むと、相手の話を
うまく切り返したりもできるようになりました。


新橋方面から銀座に向かうサラリーマンの集団が来たら、
前にお話しした事のある人たちが再び現れないか見ていて、
やってきたらとにかくこちらから

「この間はどうも!今日もお疲れ様でした」

と笑顔で声をかけるのです。


これを繰り返していたら、
私はバンバンお客を店に連れていくことが
できるようになりました。

すると銀座8丁目の交差点近辺では、
「おい、あいつまた連れて行ったよ」
と言われるようになったのです。


お店に戻ると、店長が頭を撫でて、
「お前、凄いな」と褒めてくれます。
私が勤めた店の店長がボーイに話しかけるなどということは
ありえないことでした。


そして、自分で気づいていない自分の長所を
言ってもらえるようになります。
「お前は人を安心させる能力があるのだな」
人から言われて初めて長所に気づくのです。


それだけでなく、
銀座8丁目の交差点付近では、
「君一生懸命だね。」とよく声をかけられました。
「うちの店で働かない?」と結局、私は銀座の夜の世界で
「計3店舗」からスカウトされる経験もしました。


この時に思ったのです。

何事でも、
できなくてもいいから、目の前のことを受け入れて向き合う。

そして、ほんの少しだけでも
上乗せして返す気持ちをもって進んでいくと、

人から褒められ自分自身に対する価値も上がる。
まわりが長所を認め、自己成長へと繋がり
さらに人から必要とされるようになり、
次のステージに引き上げられるようになる。

そこに夢があるとかないとかは関係ありません。
ある程度の経験を積んだ今思います。


「目の前のことにひとつひとつ向きあっていく。
 すると思いがけないところから道が拓けてくる。」


ということです

これは、どんな仕事でも同じかもしれませんね。
やりたくないことでもやらなくてはならない時代というのは必ずあります。

「ここではやりたい事が出来ない」と考えるのではなく、
今目の前に起こっていることに向き合ってみることが、
結局は自分を助けてくれることになるのだと思います。


その点で、私の下積み時代はものすごい大きな気づきを
いただく貴重な時間だったように思えてなりません。

実は劇団四季と気象予報士をダブル合格していたんです!!

23才から劇団四季を目指すのも大変なのですが、
実は私は、平均合格率4%である国家資格である
気象予報士試験の合格も23才から目指しました。

この気象予報士試験の勉強を始めたのも23才を過ぎてからです。
こちらは6回連続不合格し、7回目に合格したという壮絶な経験をします。


私は、金なし・コネなし・経験なしの
「ないないない三拍子」から
芸の修業と試験勉強とアルバイトという三足のワラジで
5年かけて劇団四季合格と気象予報士試験にWで合格できたのです。


どうして気象予報士の資格も取ろうと思ったのですか?と
本当によく聞かれますのでここでお話したいと思います。


私は静岡県出身で、本格的にサッカーをしていました。
結構活躍をしていたのですが、サッカーをするにあたり、
親とのある約束がありました。

それは
『学校の成績が下がったらサッカーをやらせてもらえないと』
いう約束でした。

学生の本分は勉強、だからその勉強を疎かにするなら
サッカーはやってはいけないよ。という事ですね。


また、私が小学生当時、清水東高校サッカー部が全盛期でした。
その清水東高校の監督がこの文武両道をモットーにしており、
勉強もできてサッカーも強い清水東高校サッカー部は
本当にカッコイイと存在でした。

だから、私の中では文武両道というというマインド
自然と育っていたのです。

そんな影響なのか私は、劇団四季を目指すことになって、
芸事だけを追求している自分に違和感がありました。


そこで、芸事を追求するだけでなく、
1時間でも時間を作ってペンを握るという事が、
自分のモチベーションと精神バランスを最もよくしたのです。


さらに資格試験に取り組むキッカケとなったのが、
兄の存在です。


兄は20代前半に仕事で挫折しかけていました。
しかし、難関国家資格の取得を目指し、30才手前で見事合格。
祝勝会での別人のようになった目つきは印象に残りました。


その表情をみて、私も自分の可能性を追求し、
一見無謀と思える劇団四季と気象予報士のW合格という目標を
達成すれば、確固たる自信を得られるのではないか?と思ったのです。


そして、チャレンジをしていたある時、
気象を勉強していた仲間に酔った席でこういわれたことがあります。

「舞台の方で勉強することがあるんじゃないですか?
 舞台も気象もなんて絶対に無理ですよ。
 どっちかにしないと絶対にダメになりますよ。
 二兎を追う者は一兎をも得ずってやつですよ。」


その指摘は、本当にその通りでした。
しかし、私は優先順位をつけることによって、
時間を効率的に使うように努めていくのです。


バイトと舞台と勉強という限りある時間を
管理し、コツコツと地道に勉強して行きました。


よく成果をつくり出す人は、優先順位をつける能力があると
言われていますが、気づけば私もそのようになっていきました。


また、メンタル面でも良い効果をつくり出していました。
気象予報士の資格を持つ劇団四季の俳優は
話題性があって面白いと思っていましたし、

気象の勉強する1時間は私の中では、
自分の毎日のパフォーマンスを最大限発揮するための
私でしかわからないコツだったのです。

なんとかプロの世界へ!そして主役までのぼりつめるまで

劇団四季に合格したころの自分のレベルを今振り返ると
拾ってもらったとしか考えられません。

そんなレベルの私にとって合格後に入った目の前に広がるプロの世界は、
すべてが目からウロコの連続でした。

そして幼いころから英才教育を受けてきたエリート集団に交ざり、
そのプロ集団で約10年生き残ったのです。
先ほど触れましたが、入るよりも生き残る方が何倍も大変なのです


何もわからず何もできないところからスタートし、
自己表現をしてお金を貰う」というプロの世界に身を置くことで、
すべてを厳しい現場で体得してきました。


とにかく「型」の体得。
いかに型に忠実に表現できるか?

そして、コンディションの保ち方。
ブレのないプロのパフォーマンスは
徹底的な基礎作りから成り立っているのです。


物凄いメンバーの中に身を置くことによって、
掛け算的に成長していく自分を発見します。


そして、私はずっとその他大勢役をやっていたのですが、
入団7年目についに主役を演じるチャンスをもらいます。

フリーターとなって心を入れ替えここにくるまでに至った
総決算として望み、厳しい稽古を乗り越えて、
さぁ明日が舞台初日というところまで来ます。


しかし私はここで大失態をしでかすのです。


あまりの緊張で、歌の音程を外しまくる、
うまく踊れないなどの
ひどいパフォーマンスをしてしまい、

何と開幕の前日に主役から外れるという判断がなされてしまったのです。
この私の失敗は、私だけで済まされる問題ではありませんでした。


私が主役を降りることはライオンキング、
ウェストサイドストーリーなど
他の主役の配役に玉突きのように影響してしまい、
劇団中に大迷惑をかけてしまったのです。


「佐藤が大失敗をした」ということで、
私は劇団で居づらさを感じてしまいました。


しかし、劇団側はそんな私にもう一度チャンスをくれます。
これをものにできなければ、後はありません。
しかし、私は身体が痙攣するほどのプレッシャーと緊張で
また大失敗をしてしまうのでした。


仲間から完全に信頼を失っているのを感じます。
私は完全に腐りもう辞めるしかないと思いました。


しかし、この時、

「そこまでやるのだったらもう一度チャンスをやるかと
 神様に思ってもらえるくらいやってみろ」


という言葉と出会い、練習を再開することになりました。
その姿が仲間の信頼を回復する結果となりました。

そして、いつでも主役に行けるように準備を続けていたのです。
すると奇跡的に三度目のチャンスが突然やってきます。

そして、開き直って臨んだ結果が
奇跡的によいパフォーマンスに繋がり、
ついに主役として劇団四季の舞台に立つことができたのです。


「どうだ、俺は凄いんだ」ではありません。
失敗だらけ・恥だらけ泥水かぶって、
這い上がってきました。


その主役で出演する際には、
・一流の演出家
・トップダンサー
・一流の俳優
・一流の音楽監督から
マンツーマンで
特訓を受けるという貴重な経験もしました。

その1ヶ月は、10年分のプロ生活に値するものでした。
すべてが私の宝となっています。

プロとアマチュアの違い
シンプルイズベスト。いかにそぎ落とせるか?
人に伝わるとはどういうことか?
人を感動させるとはどういうことか?
これらのことを身体で体得しました。

これらのことは、
人対人のお仕事をされている方にはすべて結びついています。

ですから研修や講演では、
大人から始めた素人あがりの私”でしかお話しできないような

自己表現の話
内発的意欲の話
夢や可能性

を人生の目的などに結び付けてお話しし好評を頂いているのです。

人に勇気を与えるきっかけとなった講演の仕事

最後に、誰からも聞かれるこの事を、ここでお話しさせてください。

私は就職活動で挫折し、
逃げるかのようにフリーターとなり、
様々な方に心配をかけました。

よく
「どうして五年もあきらめないで続けられたのですか?」
「モチベーションはどうやって保ったのですか?」
とも聞かれることもあります。

20代でしたので
「くやしい」
「今に見ていろ!」
そういったネガティブエネルギーばかり
使って激流に立ち向かっていきました。

自分が死ぬ時になって人生を思い起こしたときに
「あの時にあきらめたなぁ」
と後悔したくないという想いが常にありました。

でも、一番の理由には、
自分が認められることによって、
・心配をかけた方々をなんとか安心させたい
・家族を何とかして喜ばせたい

という想いがあったのです。


劇団四季に合格してからも同じでした。
夢が叶ってからの世界の方が、
夢を叶える過程よりも何倍も大変でしたが、
何とか認められたいという想いだけで立ち向かっていきました。


しかし、それが最終的にバーンアウト(燃え尽き症候群)へと繋がります。
それは、主役を演じるという目標を達成した後に起きたのです。


舞台の世界は、観る天国、やる地獄です。
特に主役を演じるという経験は壮絶でした。

断崖絶壁を一人で命綱なしで上がっていく心境です。
常に孤独です。主役を経験している人でしか
その気持ちをわかってもらえません。

前の日の夜になると、自分が不安なシーンが頭に浮かび上がります。
私は、劇の最後にヒロインを空中に持ち上げる
“リフト”というものが苦手で、
不安で不安で仕方がありませんでした。

相手がいないのでその場で練習もできませんから。
ですから、その事を考えると寝ることができないほどの状態でした。

また、主役をやるためには実力も必要ですが
人としての器も必要です。

いろんな役をたくさん経験していって自分の器を
少しずつ少しずつ大きくしていき、
そうして主役に臨むのが理想なのですが、

私はその他大勢役からの突然の大抜擢だったため、
正直いいますと自分の器以上の事をいきなりしてしまっていたのです。

そうして劇団四季で主役を演じるという任務を務め上げたのですが、
目標を達成した直後は燃え尽き症候群になってしまったのです。


しかし、そんな時にまた人生を変える機会に恵まれるのです。

当時その頃、講演依頼をたまたま受けました。
人生始めての講演です。

それは、高校生の前で夢について話すと言うものでした。


話すプログラムを自分で必死に作り、
練習をみっちりして90分をまとめ上げました。
講演は大反響で、満足度の高いアンケートを後日頂くことができました。


講演がこんなに充実感があって楽しいものなのだとその時初めて知りました。

そして、そのアンケートの中に

「そんな大人になってから夢を叶えることができるのなら、
僕は何でもできるのではないかと思った」


という感想があったのです。
そのアンケートを見て、
自分のこの異色の経験と技術は
多くの人に力を与えることができるのだと初めて知りました。
その講演が私の人生の第二のスタートになっていったのです。

私のこれまでの人生は、
「人に迷惑や心配をかけた、だから何としてでも認められたい」
この「認められたい」ということが
目的になっていて
自分の人生の目的と一致していなかったのですね。


だから、自分に鞭を打って無理をして突進して、
目標を達成したら燃え尽きてしまったのですね。
人生の目的を持って生きていなかったのです。


自分の本当の道は舞台芸術家としてではなく、
教育者なのではないか?

苦しい修業時代の経験や舞台の経験は
人材教育をするための序章だったのではないか?
教育者として生きていくことが
自分の本当の使命なのではないか?

と考えました。
だから、
「就職活動で挫折してフリーターとなり
そこから劇団四季の主役まで演じるまでに至ったという自分の
この経験と技術を多くの人に伝えて、
多くの人の内発的な意欲を起こし
素晴らしい人材を育成することで社会に貢献する。」

これをこれから生きていく、
自分のこれからの信念に決めたのです。


すると不思議なことに、
やる気も自信も精神も徐々に回復していったのですよ。

そして、今、講演や研修講師として多くの皆様の前で
お話をさせて頂いています。

自分の経験を通して伝えられるメッセージがあると思っています。


人には誰でも素晴らしい可能性があり、
その可能性を開花させていくのも、本人次第だと思っています。

そして、自分がそうであったように、
人は人によって磨かれて行くものでもあると思います。

ですから、私との出会いによって、
皆さんのよい転機になってもらいたいと
想い、メッセージをさせて頂いています。

ここまで、講演や研修講師をするに至った私のSTORY。
お分かりいただけましたか?

最後までお読みいただきありがとうございます。
講演や研修であなたとお会いできることを楽しみにしています。

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