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小澤征爾さんとの思い出。僕の人生の転機にはいつも現れてくれた。

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小澤征爾さんとの思い出STORY

ボストン交響楽団などで音楽監督を務めた
世界的指揮者小澤征爾さんが亡くなった。

悲しい。

僕の人生の中でも小澤征爾さんは
切っても切り離せない。

僕の人生のターニングポイントには
何故か小澤さんが登場された。

小澤征爾さんが

どれだけ魅力的な人だったか
どれだけ情熱的な方だったか
劇団四季の核となる思想が小澤征爾さん

それを一人でもいいので知って頂きたくて
コラムとしてまとめさせていただきます。

最初の出会いは本。小澤征爾さん著「僕の音楽武者修行」

僕と小澤征爾さんの一番最初の出会いは
小澤征爾さんの書籍「僕の音楽武者修行」。

24歳の青年が日本国旗を掲げてスクーターに乗って海外に挑戦。

ブザンソン国際指揮者コンクール入賞から、カラヤン、バーンスタインに認められてニューヨーク・フィル副指揮者に就任するまでを、ユーモアたっぷりに語った「世界のオザワ」へと上り詰めていくストーリー。

この本を知ったのは
僕が劇団四季を目指しているまさに修行中の時だった。

この本にどれだけ勇気付けられたことか。
自分もこんな風に上り詰めていきたいと
どれだけ勇気をもらったか。

その数年後
不思議なことに

僕は幸運にも
小澤征爾音楽塾「オペレッタこうもり」に出演させて頂いた。

本の中だけの存在であった
あの小澤征爾さんと一緒に仕事ができるなんて!

ほんと夢の夢かと思った。

僕の役はオペレッタ「こうもり」の中のダンサーの役だ。

右端の髭が私

僕は小澤征爾さんと日本全国を
ツアーで廻るという非常に貴重な経験を
させていただく。

小澤征爾さんの指揮には本当に不思議な力があった。

それまで新国立劇場のオペラ(エキストラ)
などでいろんな指揮者の方の指揮の振り方を舞台上から見てきたけれど

素人ながら、全く違った。

オーケストラとの対話だけではなく
舞台上の演者(声楽家、ダンサー、俳優他)
との対話が指揮棒から感じられたのだ。

一緒に出演していた有名ダンサーさんは

「彼が指揮を振ると私の心は最高潮に舞い上がり体が勝手に動き出す感覚」

と言っていたが本当にその通り。

不思議だった。

ある公演後のことだ(滋賀公演だったかな)

私は舞台上で踊りながら
「あれ?今日は少しテンポが早い感じがするな」と感じていた。

他のダンサーたちも
微妙なテンポの違いを感じ取っていた。

するとだ!

あの世界の小澤征爾が
幕間にダンサー楽屋にわざわざ来てくれて

「テンポ少し早かったよね、ごめんねーーーー」

と謝りに来てくれたのだ。

たくさんの指揮者の方と
それまで仕事をさせて頂いたけども
マエストロが楽屋に謝りに来るなんてそんなことは初めて。

小澤征爾さんは
いつも少年のような笑顔をされていて情熱的な方だった。

家族を楽屋に呼んで写真も撮ってくれた。

劇団四季と小澤征爾さんの知られざる関係

その小澤征爾音楽塾のお仕事の後
僕は劇団四季のオーディションに挑戦することにした。

劇団四季を受験するためには
それまでの経歴などを履歴書に書く必要がある。

僕は小澤征爾音楽塾に出演して
小澤征爾さんと全国を廻ったことを履歴書にしっかりと書いた。

なぜなら
劇団四季創業者の浅利慶太さんは
小澤征爾さんと兄弟分だということを知っていたからだ。

最終面接まで行ったら
劇団四季に合格するという奇跡は
起きるのではないかと少し感じていた。

最終面接の際
浅利さんからこんな言葉をかけられた。

浅利氏「君は征爾と仕事をしているのか。どうだった?」

「はい、少しテンポが早いくらいでもダンサーの楽屋に来て謝ってくれるような方でした。」

浅利氏「そうだよな、あいつは情熱の塊のような男だからな」

この一連の会話で僕は劇団四季に合格することを確信した。

その確信は正しかった。

数日後、劇団四季の制作部から合格の連絡を直接もらった。

小澤征爾さんのその話がなかったら合格していたかは分からない。

劇団四季に入ってからも
浅利慶太さんはよく小澤征爾さんの話をしていた。

劇団四季には
再現性高く感動観客に届けるための
方法論が確立されているのだが

その方法論のヒントとなったのが
小澤征爾さんの音楽に対する考え方というのはご存知だろうか。

小澤征爾さんの言葉
「良いピアニストの音はオーケストラの大音量を超えて一音一音が粒立って観客席の一番後ろまで届いていく」

浅利慶太さんはこの言葉にインスピレーションを受け

俳優が発する言葉も同じこと、台本に書かれた一音一音を観客の最後列まで正確に届けることが最重要な概念だということを見出した。

「1音たりとも落とすものは去れ」

劇団四季の俳優では
この言葉を知らない人はいないが
この元となっているのが小澤征爾さんの音楽論なのだ。

それだけではない。

小澤征爾さんの言葉
「音楽は数学だよ、しっかりと方程式のように設計して作曲家という第一芸術家の作品を観客に届けるのが指揮者の仕事。」

浅利慶太さんはこの言葉にインスピレーションを受け

台本の中のセリフを観客にしっかり届けるための方程式である、母音法(連母音、連子音、長音など)を確立し、台本に細かく設計することを求めた。

千秋楽でスピーチをする小澤征爾さん

僕個人の小澤征爾さんとの思い出

話は変わって僕個人の
人生のターニングポイントにも
小澤征爾さんはなぜか登場する。

僕には奥さんがいる。
その奥さんと結婚する前の話だ。

僕は付き合って欲しくて
勇気を振り絞ってデートに誘っていた。

女性に消極的な僕にしては
珍しいほど勇気を出して誘っていた。

何回かデートに誘ったけど

いつも勇気が出ずに
「付き合って欲しい」
という告白ができなかった。
(男性ならわかるはず)

そんな中途半端なことをしてたら
女性は間違いなく去っていく。
(男性ならわかるはず)

今日こそは告白するぞと
意気込んで表参道でランチをした後のことだ。

2人で表参道の街並みを歩いていたら
脇道から小澤征爾さんが突然、目の前に現れた!

そして僕と目があった。半径1メートルの距離。

もちろん小澤征爾さんは僕のことなんか覚えていないと思うが

「小澤征爾音楽塾のコウモリでお世話になりました、ダンサーとして一緒に全国回らせていただきました。今は劇団四季にいます。」

と声をかけさせてもらった。

すると小澤征爾さんは満面の笑みで
「お、頑張ってる?」声をかけてくれた。

とても嬉しかっただけではなく
なんか小澤征爾さんの突然の登場は
「大丈夫だから告白しろ」
僕にとって幸運の合図のような気がしたのだ。

そしてその30分後ぐらいに
僕は奥さんに告白をした。

その時は
即 OKはもらえなかったけど
考えてくれるとのことだった。

あの時小澤征爾さんが僕の前に
突然現れなかったらおそらく告白する勇気が出ずにまた次の機会に後回しにしていただろう。

本当の話だ笑。

僕にとって小澤征爾さんは
人生が大きく好転する
ターニングポイントやきっかけに登場している。

僕の中の勝手な話だが
僕の人生には切っても切り離せない存在なのだ。

だから舞台を引退した後でも
小澤征爾さんの健康状態や音楽活動はずっと気になってきた。

体が調子悪いことも知っていた。

それでも指揮台に立って
タクトを振るう姿に非常に勇気をもらった。

音楽と生きることが
直結しているような
本当に情熱の塊のような方だった。

私もいくつになっても
小澤征爾さんのように
少年のような目をして、情熱的に生きたいと思う。

小澤征爾さん
ご冥福をお祈りいたします。

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劇団四季出身の講師である筆者プロフィールはこちら

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