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古賀史健さんの取材・執筆・推敲 書く人の教科書を読んで驚いた事と感想

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取材・執筆・推敲 書く人の教科書の感想

たまたま本屋さんに行った時にひときわ異彩を放つこの本が目に飛び込んできた。

その本は古賀史健さんの「取材・執筆・推敲 書く人の教科書」。

内容をパラパラと見て「凄そう」と感じ即買ってしまった。

一気に読破して驚いたこと。

浅利慶太先生と伝えていることが同じだ…。

浅利慶太先生とは僕が10年間在籍した劇団四季の創業者。 残念ながら3年前にお亡くなりになった。僕はその浅利慶太先生にマンツーマンで表現の真髄を叩き込まれたという貴重な経験がある。

ということで今回のコラムでは古賀史健さん著の「取材・執筆・推敲 書く人の教科書」を演劇論という違う視点で解説して感想を伝えてみたい。

はじめまして、この記事を執筆した佐藤政樹と申します。劇団四季出身の研修講師として【受講生を惹きつけながら気づきと学びを促すことをモットー】に、講演会やセミナーの講師だけに限らず大手企業などでさまざまな研修を行っております。人前で話す機会の多いビジネスマンのスピーチトレーニングを多数担当させて頂いております。記事の内容をお読みいただき、もしご興味いただけましたら、ページ最下部のプロフィールや研修内容の詳細をご覧いただけますと幸いです。

古賀史健さん×浅利慶太氏その1

古賀史健さんの言葉

「取材・執筆・推敲 書く人の教科書」のなかで古賀史健さんはこう言っている

こちらが熱弁を振るうほど、相手は冷めていく。ーーここまで引用。

自らの感情を吐露すること、つまり感情を吐き出すことがエッセイの基本なのか、吐き出されたあなたの喜怒哀楽を読者は楽しく読んでくれるのか、ーーーそんなことはないだろう。論理の反対側にあるのは感情ではない。ーーここまで引用。

自ら観察したものを克明に描写する。意味に偏った抽象画ではなく、ただ私の見たものを写生する。その丁寧な情景描写が心象風景とシンクロしていく。ーーここまで引用。

浅利慶太さんから直接習ったこと

俳優は絶対に感情を込めたりセリフを通して感情を吐露してはいけない。

主役はセリフを聞くお客様の頭の中。 感情を込める、 感情を吐露するはただの演じ手の自己満足。

プロは発する言葉の背景にあるニュアンスを観客が頭の中でイメージするように語る。 決して観客の頭の想像領域に土足で踏み込んではいけない。 “感情を込めて伝える”は土足で踏み入ること___。

僕もプレゼンテーションの指導などで感情を込めて情動的に伝えようとすることの危険性をよく伝えている。
やはり書くことも同じですね。

古賀史健さん×浅利慶太氏その2

古賀史健さんの言葉

「取材・執筆・推敲 書く人の教科書」のなかで古賀史健さんはこう言っている

ライターが原稿を書く時にぜったいにやってはならないのが「嘘をつくこと」。対象への理解が甘いまま、ぼんやりと書いたとき、なんとなくの雰囲気で書いた時。調べることや考えることをサボったままに書いた時そこには必ず嘘が混入する。読者に不誠実な嘘が入り込んでしまう。嘘を書かないため、不誠実なごまかしをしないため、そして分かりにくい文章を書かないため「わかった!」と思えるところまで調べ考え続けよう。わかった上で書こう。ーーここまで引用。

ノミと木槌を手に不要な箇所を削り取っていった結果ぼんやりと像(書くこと)が浮かび上がってくる実際に書くのはそれからである。原稿を書きあぐねている人にはまず捨てることから始めて欲しい。ーーここまで引用。

ここを読んだ時にも劇団四季創業者の浅利慶太氏の顔が思い浮かんだ。

浅利慶太さんから直接習ったこと

発する言葉に嘘があるとそく見破られた。例えば「美味しい!」と表現するのだったらなんとなく雰囲気で伝えるのではなく、美味しいと発する理由を腹落ちするレベルまで考え磨き上げ、自分が腑に落ちた状態にする。

なにをどうやって食べたのか?
美味しいという対象はなんなのか?
どんな状況なのか。
そこまでの背景は?
生まれは?
その言葉を発する理由を動詞にすると?

深掘って深掘って深掘って自分が納得理解できる状態までにする。
そこまでやって初めて観客に伝えることができる。

そして舞台上では役を演じるのではなく生きる。人前に立つとどうしても舞い上がり気分が高揚し、”やろう、見せよう”と言う自我が働く。盛るのではなくいかに そういった自我や嘘をそぎ落とすのか。 そぎ落としこそがプロフェッショナル。

「工具を使って木で彫刻を作るときには、その上に粘土で盛らないだろ、木はそぎ落としていくだろ、あれと同じだ、」とよく言っていた。ちょっとでも嘘があるとそこを突っ込まれてフィードバックされた。厳しかった。

浅利慶太氏のいう伝える対象はお金を払って演劇を観に来た観客。伝える人は舞台上の俳優。
古賀史健さんのいう伝える対象はお金を払って本というメディアを買った読者。伝える人はライター。

やはり共通していますよね。

古賀史健さん浅利慶太氏その3

古賀史健さんの言葉

「取材・執筆・推敲 書く人の教科書」のなかで古賀史健さんはこう言っている

断言しよう。どんなに斬新なテーマを取り扱っていても、どれほど文章表現に優れていても、どんなにいいことや大切なことが書いてあっても、設計図がぐちゃぐちゃであれば本の魅力は半減する。ーーここまで引用。

一般的な話としてライターは編集者からのフィードバックを疎ましく思うものだ要するにダメ出しである編集者はあなたに書き手としての意見を言ってるのではないただ読者としての感想を伝えているだけだ。ーーここまで引用。

「こういうものを読みたい」と「こういうものを書きたい」がせめぎ合う最終決戦の場。それが推敲であり編集者からのフィードバックなのだ。ーーここまで引用。

浅利慶太さんから直接習ったこと

作品は脚本とキャスティングが全て。どんなに素晴らしい俳優を揃えても脚本が悪かったら良い作品にはならない。 脚本を作る作家こそが最上位の第一芸術家。 演出家は、 キャスティング含め、その一流の作家の脚本を正確に観客に届けられるための 橋渡し役。 キャスティングされた俳優は脚本に対して決して自分の色をつけたりしてはならない。 自我を消し 最上位である脚本を観客に届けるために 役を生きる__。

俳優と演出家の関係は、編集者とライターの関係と非常に似ていると感じた。演出はあくまでも俳優(表現者)の鏡。観客に届けるべきコンテンツ(脚本)を正確に届けるためにフィードバックをする。俳優の「伝えたい」が先走ると激が飛んだ。

書くことも同じですね。表現者と編集者の関係性がよくわかります。編集者からフィードバックをうけて落ち込む必要はないと思えます(実際にはとても落ち込みますがね)。

古賀史健さんの取材・執筆・推敲 書く人の教科書感想まとめ

浅利慶太先生と古賀史健さんは、知り合いだったんじゃないかと思うほど読書しながら浅利慶太先生のことを思い出した。

とまぁ、 浅利慶太?誰それ?とか劇団四季に興味ないライター志望の方からすると言ってる事よくわかんないし関係のないことって思うかもですね。

ただ、何事も表現の本質は同じなんだというのが感想。

そしてこの本は本質的なので 繰り返し繰り返し読んで実践し振り返って 自分の文章力を磨くための最高の本だなということ。

書き手の方は受験生が合格に向けて英語の辞書のように手垢で真っ黒にするように、この本を繰り返し読むことをお勧めします。

取材・執筆・推敲 書く人の教科書

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